COLUMN
2026.03.15
「ネシ子が会う」乙女音楽研究社主宰・川島イタル 前編(第二十一回)
2026年3月13日、フレネシの新曲「Undo-Onchi」の配信が開始された。
今作は、乙女音楽研究社主宰の川島イタル氏が17年ぶりに作詞・作曲・編曲を手掛けた一曲。1stアルバム『キュプラ』収録の「わたしのイエスマン」「スカイバストーキョー」以来となる黄金タッグの復活だ。
曲のテーマは、タイトル通りの「運動音痴」と、歌詞に登場する「方向音痴」。
「二重苦でかわいそうですね……私です(※方向音痴については異論あり)」と語るフレネシ。いつの間にか社長(イタル氏)が書き上げ、気づけば歌うことになっていたという本作は、図らずもフレネシ自身の弱点と向き合う一曲となった。
「大人になれば運動音痴で困ることはないけれど、学生時代の能力の優劣が人格形成に与える影響は大きい。もし連続逆上がりができる小学生だったら、今ここで歌っていなかったかも」
そんな風に人生を振り返ったりもした新作を、ぜひ耳にしてほしい。
◆乙女音楽研究社の誕生
―――フレネシ(以下、ネシ): 乙女音楽研究社の始まりはいつからでしたっけ?
川島イタル(以下、イタル): 2008年からですね。

―――ネシ: そもそも、なぜレーベルを立ち上げようと? どのようなポリシーでスタートしたのでしょうか。
イタル: 「なんとなくやってみたい」という気持ちが根底にありました。
―――ネシ: イタルさんのルーツはテクノやハウスですよね。そちら寄りのレーベルにする構想はなかったんですか?
イタル: レーベルを始める人って、どこか「レーベル」というワードそのものに憧れがあると思うんですよ。特にDJ出身の人種には多い。
―――ネシ:世代的に『レディメイド』や『トラットリア』の影響力は絶大でしたから、その憧れは分かります。
イタル: 言ってみれば単なるメーカーなのですが、ラベルを「レーベル」と呼ぶことで、何かを司っている感覚になれる。
―――ネシ:「神」というか、司令部のような?

イタル: そうそう。私のパーソナリティは「裏方7割」なので、作ったものを見てほしいという欲求と、モノがハードウェア(製品)として世に出ることへの潜在的な憧れがあったんです。DJ時代に多くの作品に出会う中で、その想いが強くなっていきました。
―――ネシ: 当時、特に影響を受けたレーベルはありますか?
イタル: テクノが主ですが、ベルギーの『R&S』が好きでしたね。ケン・イシイさんが最初にアルバムを出したレーベルでもあります。
―――ネシ:海外レーベルからのリリース、私も憧れました! 「世界に認められる」という感覚……当時はどうすればそこに届くのか、全く謎でしたけど。
イタル: そこがいいんだよね。彼の場合はデモテープを送ったらしいですよ。
―――ネシ:時代ですね。
イタル: (渋谷にあったライブハウスの)「青い部屋」で素敵なアーティストに出会う中で、プロデュースやマネジメントをしたいというより、「俺はレーベルをやりたいんだ」という感覚が先行した。そういうアーティストの支え方は、珍しいかもしれません。

―――ネシ:ただ、イベンターとレーベルオーナーでは負荷が全く違いますよね。イベントは演者に任せる部分も多いですが、レーベルは全責任を持って面倒を見るわけですから。
デザイン事務所の運営など、時間の融通が利くフリーランスの方がやるイメージがありましたが、イタルさんは本業(研究職)がある。サラリーマンとの兼業でよく成立していたなと、今振り返っても驚きです。
イタル: 本業の都合は、なるべくフレネシさんには伝えないようにしていました。
―――ネシ:子供の頃に読んだ漫画で「胎内で双子が融合して一人になった天才」という設定があったのですが、イタルさんを見ているとそれを思い出します(笑)。イベントでの舞台監督ぶりを見て、友人も「頭が良いってこういう人のことか」と圧倒されていましたよ。

イタル: ははは。単純に新しいことやトライ&エラーが好きなんです。ゼロからレーベル運営を学ぶのも、RPGで村人に話を聞いて呪文を覚えるような感覚でした。この業界、ネットにも情報はありますが、最後は人を頼らないと真の情報は得られない。その仕組みを知ることや、流通や宣伝に関わる「音楽ファンとしての善意」を持った人たちと繋がることが、何より楽しかった。
―――ネシ: それは本当にそうですね。
イタル: 立ち上げ当初、フレネシさんのファンが周囲に多かったのも幸運でした。同じCDショップで働いていた「ねぎぽん」とか。
―――ネシ: 懐かしい! 彼は私が新卒で入った店の学生バイトでしたね。
イタル: 初対面の人ばかりではない、というのが大きなアドバンテージでした。bambiniの矢田さんやalley-oopの佐藤さん……皆さんに導いていただいた。

◆「雑貨」としてのこだわりと、衝撃の方向転換
―――ネシ: 1stアルバム『キュプラ』のジャケット制作についても、乙女社らしいエピソードがありますよね。

イタル: レーベルのこだわりとして、「紙ジャケ」だけは譲れませんでした。聴かないときも部屋に飾っておきたくなる存在感。
当時、フライヤーを配りに色々なお店を回る中で、かわいい雑貨に触れる機会が多かったんです。吉祥寺の「にじ画廊」のように、ハンドメイドの良さが溢れる空間に並べても遜色ない「ハードウェア」を作りたかった。
―――ネシ:最初はテキスタイル(布)のデザインを考えていたんですよね。
イタル: セキユリヲさんの『サルビア』や『mina perhonen』のような北欧風の雰囲気が好きで、テキスタイルデザイナーのアニャンさんに声をかけました。
でも、いざサンプルを友人のプロダクトデザイナーのYさんに見せたら酷評されてしまった。「これでは音が聞こえてこない」「雑貨ではなくCDなのだから、店頭で目立たなければダメだ」と。

―――ネシ:そこでイタルさんは、自分のこだわりを180度転換した。
イタル: 「人の意見こそがすべて」というポリシーなので(笑)。即座に方向転換しました。
―――ネシ:その潔さはすごい。でも、ジャケットを「ネシ子(イラスト)」の少女画にすることには、当初抵抗もあったのでは?
1st収録の「覆面調査員」あたりから音がピコピコし始めて、歌もアニメチックになっていった。お洒落なレトロ雑貨路線を期待していた層に、この「アニメ絵風」が受け入れられるのかという懸念はありましたよね。

イタル: Yさんに「CD屋に置くなら顔にしなさい。本人が出ないならイラストでいい。とにかく目が二つあることが大事だ」とアドバイスされてね。
―――ネシ:アニャンさんの絵デザインも素敵だったので、コストをかけて作ったサンプルをボツにする判断は驚きでした。私なら「1枚目はこちら、2枚目はアニメ絵」と折衷案を探してしまいそうです。
イタル: 根本にあるのはプロフェッショナルへのリスペクトです。「自分は間違っているかもしれない」という認識が常にある。音楽は7割が感性の「神の領域」だけど、残りの3割には理屈が必要で、そこを発見・応用するのが楽しいという。
―――ネシ:理系らしい発想ですよね。

イタル: デジパックに本のような帯をかける仕様も、そうして生まれました。あれを実践しているレーベルは他にないはず。
―――ネシ: あのポケットに入れ込むタイプの帯、手間がすごすぎて他所は追随できないですよ(笑)。
イタル:当時は工場に断られたから、社長(私)が手作業で帯をつけていました(笑)。その手間が、結果として「雑貨感」を生んだのかも。
あと、可愛い絵に対して「心臓を開けたら、針」という毒のあるキャッチコピーを添える。そのギャップが本能に訴えかけるんだ、という戦略もありました。
―――ネシ:あのコピーは私の作品を象徴するものになりました。
イタル: フレネシさんの歌詞には、風刺や芯の強さがある。安易に恋愛を歌わず、「地球空洞説」のような難解な題材を扱う。そこが素敵だなと。
―――ネシ:私が読んでるのは、割とろくでもない本ですけどね……。
イタル:ムーとかそういうの好きじゃないですか、オーパーツとか。
―――ネシ:それについてはもともと古のテクノポップと親和性があって、2000年代に相対性理論がリバイバル的にバンドサウンドに落とし込んだという文脈があった上で、かも。彼らのおかげで、好きと言いやすいムードはあったのかなと思います。

イタル:ジャケットについては、口を挟まず、一旦こちらに任せてくれたのがありがたかったですね。同じジャケットを使い続けているアーティストとして、ギネスに載ろう。
―――ネシ:ギネスって登録にお金かかるのかな?
イタル:かかりますよ、60万くらい。
―――ネシ:えっ、高い…。
イタル:この話のゴールはそこですね(笑)

―――ネシ:むむむう。60万かけるにはどれくらい売らなきゃいけないんだろう?
イタル:結局ギネスの認定証が欲しいだけ、という…。
ヨシナガ(カメラマン):モンドセレクションみたいなものですね。
イタル: そのニュースが一番バズるかもしれない(笑)。
―――ネシ:そのギネスに載りそうな唯一無二のスタイルを、これからも大事にしていきたいですね。

後編へ、続く。
(写真:ヨシナガタツキ)
